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中村梅玉 (2代目) : ミニ英和和英辞書
中村梅玉 (2代目)[にだいめ なかむら ばいぎょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

中村梅玉 (2代目) : ウィキペディア日本語版
中村梅玉 (2代目)[にだいめ なかむら ばいぎょく]

二代目 中村梅玉(にだいめ なかむら ばいぎょく、天保12年12月28日1842年2月8日) - 大正10年(1921年6月8日)は、幕末から明治、大正にかけて活躍した上方の歌舞伎役者屋号高砂屋俳名に三雀・鶯声。本名は笹木 徳数(ささき のりかず)。
五条の生まれ。生家は鋲造りの鍛冶職人。嘉永元年(1848年)大坂に移住。同年、女形として藤岡菊太郎とを名乗って竹田芝居で初舞台。2年後初代中村玉七の門人となって中村玉蔵を名乗る。慶応元年(1865年)五代目三枡大五郎の養子に迎えられ四代目三枡他人(みます たにん)を襲名した。
慶応3年(1867年)、来坂した二代目中村福助に認められてその門人となるが、福助はまもなく急死。福助人気をあてこんでいた興行師はその突然の客死に頭を抱え、窮余の策として年格好が似ており、しかも並ならぬ技量があった三枡他人に白羽の矢を立てる。この興行師の説得に折れるかたちで翌年三代目中村福助を襲名。ところが時をほぼ同じくして江戸でも二代目福助の高弟が三代目福助を襲名したため、期せずして東西に二人の福助が立つことになってしまった。これが以後100年間にわたって延々と続くことになる東京の成駒屋中村福助と大阪の高砂屋中村福助の並立である(詳細は「中村福助」の記事を参照)。
その後は東西の舞台で活躍するが、初代中村鴈治郎が台頭すると、率先して脇に廻りその相方をつとめるようになる。明治40年(1907年)10月、大阪角座にて二代目中村梅玉を襲名。以後、『河庄』の孫右衛門、『土屋主税』の宝井基角、『伊賀越道中双六・岡崎』の山田幸兵衛、『菅原伝授手習鑑・道明寺』の覚寿『絵本太功記・尼崎』の操などで鴈治郎を助けた。
口跡・容貌とも優れ、役柄も広く、融通無碍の演技力で、鴈治郎が昨日と違う演技をしても「又変わったんやな」とさらりと受け流す度量があり、そのうえ聞けば助言もしてくれる。まさに梅玉は鴈治郎にとってなくてはならない相方だった。老いてもかくしゃくとして、舞台は最晩年まで休むことなくつとめたが、大正10年(1921年)神戸の自宅で朝風呂に入浴中に心臓麻痺で死去。80歳の大往生だった。鴈治郎の落胆ぶりは端で見ていても気の毒になるほどで「もう『紙治』もなんも、でけしまへんがな」と呟くのがやっとだったという。
鴈治郎の女房役は、手塩にかけて育てた養子の三代目中村政次郎(のちの三代目中村梅玉)によって引き継がれた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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